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これまでの登山 これからの登山

 久しぶりに読み甲斐のある本に出会った。山の会・読書会の仲間からの紹介で知った。
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 多くの人に読んでもらいたい。そして山にかかわ
る人々と語り合いたい。語り合いたい課題は「こ
れまでの登山 これからの登山」の中の「社会運動としてみる」「スポーツと政治の関係」「登山の主役ーそれは勤労者」「登山とヒューマニズム」「登山の多様化」とりわけ「疎外感の深まりとその社会的条件」「消費的登山」「登山の多様化」また「山岳会とそこでの問題」等です。

 まず、これらの項目は私がこの数年、思い抱えてきた課題と共通しています。「登山」を単に「登山として」捉えないで、社会運動として捉え、人間と社会の進歩発展と関連づけている。
単独行といえども人々との関り無しでは成り立たない。逆に山の会の登山があるから単独行を異端視するのはどうか?
変形性関節炎で登山が難しくなった。でも、登山と山の会に関心がある。いけないことか?     

 登山も社会制度や政治との関り無しでは、ありえない。遭対基金も共済で制度であり、政治の力で潰そうとしてきている。自然環境・平和・安全・ヨーロッパではガイドが制度として、資格として存在していると本で読んだことがある。政治と関りのあることをすることを「アカ」と言って、軽蔑する。これでよいのか?

 勤労者山岳連盟の「勤労者」という呼び方を嫌がる傾向がないか?
勤労者山岳連盟の中に社長がいても好いではないか。その社長が山が好きで、ヒューマニストで、民主主義者なら結構ではないか。汗を流して働き、汗を流して働く人を尊重する人なら、例え資本の利益を守る仕事をしていても、彼は山の仲間だ。と私は思いる。
                                                                                               
 「孤高の人」上巻の中(327P)で「加藤さん、冬山には冬山のルールがあることをご存知でしょう。剣沢小屋へ泊りたいなら、ちゃんと案内人をつれて来るべきです。案内人を雇う金がおしかったら、冬山へは来ないことです。」------(冬山は金持ちだけのものだろうか)
このすぐ後、金持ちの登山家6人もろとも剣沢小屋は雪崩に合い死亡。ざま-見やがれと初めて、読んだとき思った。
                                      
 私が働き出してから、今ほど勤労者(労働者)が誇りと自信を失っていることを知らない。
「雇用不安・差別雇用・ワーキングプア」これらの言葉が社会的に定着したのは、何時頃からか?この言葉が社会的に定着する前から雇用不安も差別雇用もあった。ワーキングプアの言葉はなかった。最も、残念なのは労働者同志が信頼し合っているのか信頼し合ってないのかが、解らなくなっていることです。

私は、70歳まで雇用が保証されていた。でも交代勤務付きのシフト勤務だった。山の会の活動に十分参加できなかった。それでその仕事をやめた。
30過ぎの山の会の会員が製パン工場でシフト勤務だった。熱心な山好きであった。でも山の会を辞めた。

著者 深野一郎  発行所 株式会社 本の泉 ¥2000円
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